
スタープロレスラーの素顔に迫ったドキュメンタリーの傑作を復刻!
甘いマスクとレスリング仕込みのテクニックを持ち、ラフファイトにも強い、完成されたレスラー。AWA王座に10度就いたAWAの帝王。プロレスがスポーツ・エンターテイメントの中心であった時代を代表する、偉大なる名レスラー、バーン・ガニア。
鉄人ルー・テーズの連勝を936で止めたことでも知られ、1960年の日本プロレス第2回ワールド大リーグ戦で外人サイドのエースとして最多の10勝を上げ、力道山と決勝で闘ったレオ・ノメリーニ。
今は亡きスーパースター達の晩年にインタビューを敢行した貴重な記録を廉価版で復刻。
●出演
バーン・ガニア、レオ・ノメリーニ、ほか
バーン・ガニア/スリーパーホールドを生んだAWAの帝王
ロンドンオリンピックに出場したレスリングの名選手でありながら、プロフットボーラーとしてNFLでも活躍し、鳴り物入りでプロレスに転向したバーン・ガニア。デビューからわずか2年でNWA世界ジュニアヘビー級王者となり、ミネアポリス版AWA王座、初代USヘビー級王座をも獲得。NWA世界王者ルー・テーズへの有力なコンテンダーとして対決が期待されたが果たせず、1960年にAWAを設立。もう一人の世界王者としてNWAに対抗する一大勢力を築き上げた。甘いマスクとレスリング仕込みのテクニックを持ち、ラフファイトにも強い、完成されたレスラーだったガニア。AWA王座に就く事10回。まさにAWAの帝王として君臨しながら、プロモーターとしても数多くの優れたレスラーを育て上げた。プロレスがスポーツ・エンターテイメントの中心であった時代を代表する、偉大なる名レスラーの一人である。2015年4月27日、89歳で死去。
サンフランシスコのタックル王/レオ・ノメリーニ
ミネソタ大学時代に2度フットボールのオールアメリカンに選出されたノメリーニは、その後、サンフランシスコ49ersからドラフト1位指名を受け入団。14年間プロフットボールのトップ選手として活躍した。1969年、長年の功績によりプロフットボールの殿堂入りを果たす。
名タックラーであったノメリーニのスピードとパワーに注目したガニアのスカウトにより、フットボールのシーズンオフにはレスラーとしても活躍。1955年3月、サンフランシスコのカウパレスにおいて鉄人ルー・テーズの連勝を936で止めたことでも知られる。日本には1960年、第2回ワールド大リーグ戦に登場。外人サイドのエースとして最多の10勝を上げ、力道山と決勝で闘った。2000年10月17日、カリフォルニア・スタンフォードにて76歳で死去。