
スタープロレスラーの素顔に迫ったドキュメンタリーの傑作を復刻!
狂気溢れる表情と五寸釘などを使った凶器攻撃、炎を自在に操る火炎攻撃によって世界中のファンに恐れられた、プロレス史を代表する悪役レスラー、ザ・シーク。
マーク・ルーインとのコンビで数々のタッグ王座を獲得し、殿堂入りも果たしている名選手ドン・カーチス。
プロレスの歴史を作ったスーパースター達の晩年にインタビューを敢行した貴重な記録を廉価版で復刻。
●出演
ザ・シーク、ドン・カーチス、ほか
火を吹くデトロイトの怪人/ザ・シーク
凶器攻撃と言えばシークと連想されるほど日本、そして世界のプロレスファンに恐れられたザ・シーク。悪役としてのあまりの勇名ぶりは、シークの名を語った数多くの亜流レスラーを生み出した。元祖アラビアの怪人。1949年にプロレスラーとしてデビューし、次第に悪役キャラを確立。狂気あふれる表情と、五寸釘など棒状の凶器を使った反則攻撃、そして炎を自在に操る火炎攻撃により、ザ・シークはトップヒールとしての名声を得た。1972年、日本プロレスに待望の初来日。その後は全日本プロレスの常連外人となる。アブドーラ・ザ・ブッチャーと組んだ世界最凶コンビと、ドリー&テリーのザ・ファンクスの抗争は日本中に大反響を巻き起こし、プロレスファンに鮮烈な印象を残した。その後ブッチャーとは仲間割れし、血みどろの遺恨試合を繰り広げて、テレビの実況アナウンサーを襲って流血させるという前代未聞の事件も巻き起こした。1990年以降はFMWに参戦し、大仁田厚との抗争を展開。1998年、大仁田の手によって引退セレモニーが行われ、50年に渡るプロレスラー生活にピリオドを打った。2003年1月18日、78歳で死去。2007年、プロレスの殿堂入り。長いプロレスの歴史の中でも、3本の指に入る悪役レスラーのひとりであった。
フロリダのエンフォースメント/ドン・カーチス
落雷男の異名を持つドン・カーチス。来日は実現しなかったが、マーク・ルーインとのコンビで長年活躍し、タッグチームとして殿堂入りも果たしている名選手である。バッファロー大学でレスリングとフットボールを学んだドン・カーチスは、めきめきと頭角を現しバッファロー・ボンバーと呼ばれた。そしてある日、大学を訪れたルー・テーズとエキシビションで闘う機会を得る。その実力に目をつけたエド・ストラングラー・ルイスにスカウトされプロレス入り。本名はドン・バイテルマンだったが、1967年にはリングネームのドン・カーチスに改名した。1950年代から60年代にかけ、カーチスはマーク・ルーインとタッグを組み、NWA世界タッグをはじめ、数々のタッグ王座を保持。アメリカ東部地区を中心にトップレスラーとして活躍し、特にエディ&ジェリーのグラハム兄弟との抗争はドル箱カードとなった。2008年3月6日、80歳で死去。翌年、彼の長年の活躍に対し、マーク・ルーインとのタッグチームは、プロレス殿堂入りの栄誉を受けた。