
SOLD OUT
スタープロレスラーの素顔に迫ったドキュメンタリーの傑作を復刻!
テリー・ファンクの弟分として日本マットでも大活躍を見せた喧嘩番長ディック・スレーター。
リック・フレアー率いるフォー・ホースメンの一員としてNWAそしてWWEマットで一世を風靡したブランチャード。
今は亡きプロレス界のスーパースターたちの晩年にインタビューを敢行した貴重な記録を廉価版で復刻。
●出演
右利きのテリー”喧嘩番長”/ディック・スレーター
テリー・ファンクの弟分として全日本プロレスマットで人気を集め、無鉄砲で荒々しいファイトスタイルから喧嘩番長と呼ばれたスレーター。タンパ大学時代はレスリングとフットボールで活躍。ヒロ・マツダの下でトレーニングし、1972年にフロリダCWFマットでデビュー。NWA次期王者候補として注目された。日本マットには、ファンク・ファミリーの一員として1974年に初来日。「右利きのテリー」と呼ばれ、常連外人となった。1996年、背骨の負傷がもとで引退。2018年10月18日、67歳で死去。
塀の中の宣教師/タリー・ブランチャード
1980年代にリック・フレアーを中心に結成され、アメリカマットで一世を風靡した「フォー・ホースメン」オリジナルメンバーの一人。1981年、ジノ・ヘルナンデスとダイナミックデュオを結成し、悪役コンビとして活躍。そして1986年1月、リック・フレアーとの伝説的ユニット「フォー・ホースメン」を結成してNWAマットを席巻。1987年、アーン・アンダーソンとのコンビでNWA世界タッグ王座を獲得した。1988年後半にはコンビでWWFに登場。ブリティッシュブルドッグス、ハートファウンデーションらと闘い、1989年7月にはデモリッションを破ってWWF世界タッグ王座を奪取。NWA王座との2大タッグ王座を制した。1990年にセミリタイア。