SOLD OUT
スタープロレスラーの素顔に迫ったドキュメンタリーの傑作を復刻!
国際プロレスのエース外人としてラッシャー木村との金網デスマッチで本領を発揮。金網最上段からのニードロップを武器に暴れ回ったジプシー・ジョー。巨体を武器にしたラフ&パワーファイトで日米を股にかけ息の長い活躍を続けたバグジー・マグロー。往年のプロレス・スーパースターが語る半生記と現役時代のエピソード。貴重な映像記録を廉価版で再発売。
●出演
プロレスを愛する放浪のタフガイ/ジプシー・ジョー
国際プロレスのエース外国人として活躍し、特に金網デスマッチで本領を発揮。金網最上段からのニードロップを武器に暴れ回ったジプシー・ジョー。
5歳でプエルトリコからニューヨークに渡り、ペドロ・モラレス、カルロス・コロンらとトレーニングに励んで1963年にプロレスデビュー。北米大陸各地を転戦した後、カナダ・モントリオールでジプシー・ジョーに変身。マッドドッグ・バションとの抗争でトップレスラーとなった。その後国際プロレスに参戦すると、肉体の頑丈さを活かし、スチールイスでの攻撃を無防備に受け、逆にイスが壊れてしまうというジョーにしかできない得意技で人気を博した。また国プロの看板であった金網デスマッチも得意とし、ラッシャー木村の保持するIWA世界ヘビー級王座にも度々挑戦した。国際プロレス崩壊後は全日本プロレスの常連となり、ジャンボ鶴田のUNヘビー級王座にも挑戦。90年代以降はデスマッチ主体のW★ING、IWAジャパンに参戦し、変わらぬタフネスぶりを見せつけた。2011年1月7日、現役最年長77歳という記録を残してテネシー州のSWFマットで引退。2016年6月15日、82歳で死去。
天使の看護士、鮮血の荒熊/バグジー・マグロー
巨体を武器にしたラフ&パワーファイトで、60年代から80年代まで日米をまたに掛け息の長い活躍を続けたバグジー・マグロー。
1961年にトム・ジョーンズのコーチを受けてデビュー。本名のマイケル・デービスにはじまり、マスクマンのビッグO、ビューティフル・ブルータス、ザ・ブルートなどいかにもマッチョ系のリングネームを次々に名乗りながら各地を転戦しキャリアを重ねた。1972年3月、マイティ・ブルータスのリングネームで日本プロレスに初来日。1974年3月にはザ・ブルートとして国際プロレスに登場した。1975年、WWWF参戦を機にバグジー・マグローと改名。スキンヘッドの巨漢ヒールとして活躍し、1978年4月、新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参戦。アントニオ猪木、アンドレ・ザ・ジャイアントらと決勝リーグで対戦した。帰国後、日本帰りは出世するの言葉通りフロリダ地区でブレイク。ダスティ・ローデスに次ぐ人気者となりハーリー・レイスの持つNWA世界ヘビー級王座へも挑戦した。1984年3月には全日本プロレスに登場しスタン・ハンセンが保持していたPWFヘビー級王座に挑戦。その後もNWAの主要テリトリーで活躍を続けた。88年頃に引退。フロリダで看護士の仕事に就きながらチャリティーイベントなどに出場を続けた。2019年には自伝を発表。